Mrs. GREEN APPLE「クスシキ」の歌詞の意味を考察! 時を超えて続く想い

はじめに:喪失と再生、時を超える想い

この歌詞は、過去の出来事や失われた愛、そして「貴方」という特定の存在への複雑な想いを抱えながら、現在を生き、未来へ向かおうとする語り手の内面を深く掘り下げた詩的な物語です。そこには、後悔、愛情、自己矛盾、孤独、そして再生への静かな決意が、印象的な比喩と共に描かれています。全体を通して、喪失の痛みを受け入れつつも、時を超えて続く想いを胸に、自己を見つめ直し、新たな一歩を踏み出そうとする姿が浮かび上がってきます。

1. 過去への問いかけと不確かな真実

1.1. 記憶と現実の齟齬:「言霊は誠か」

歌詞は「摩訶不思議だ 言霊は誠か」という問いかけから始まります。これは、過去の出来事や伝え聞いた言葉の真実性に対する根源的な疑念を示唆しています。自分の記憶や認識は本当に正しかったのか、言葉には本当に力が宿るのか、という不確かさが漂います。「偽ってる彼奴は 天に堕ちていった」という伝聞は、因果応報的な結末を暗示しますが、続く「って聞いていたんだけども 彼奴はどうも 皆に愛されてたらしい」という一節で、その認識は覆されます。伝え聞いた話と現実(あるいは別の側面)との間には齟齬があり、物事の一面だけでは真実は見えないこと、あるいは自分の認識が歪んでいた可能性を示唆しています。この冒頭部分は、語り手が過去の出来事や人間関係に対して、単純ではない、割り切れない思いを抱えていることを示しています。

1.2. 自由への渇望と「あなた」がもたらす痛み

「感じたい思いは 故に自由自在だ」というフレーズは、感情や思考は本来、何の束縛もなく自由であるはずだ、という理想や願望を表しています。しかし、現実は「奇しき術から転じた また嘘っぱち」という言葉に示されるように、何らかの不自然な力(奇しき術)や偽りによって、その自由が妨げられている、あるいは歪められていると感じているようです。そして、この葛藤の中心にいるのが「あなた」という存在です。「『あなた』が居る それだけで今日も 生きる傷みを思い知らされる」という一節は、極めて重要です。「あなた」の存在そのものが、語り手にとって生きることの根源的な痛みや困難さを突きつけてくるのです。これは、深い愛情ゆえに感じる痛みなのか、あるいは「あなた」を失ったことによる喪失の痛みなのか、具体的な状況は明示されませんが、いずれにしても「あなた」が語り手の感情や存在に深く、そして痛みを伴う形で刻まれていることを示しています。

2. 愛と矛盾:「月と太陽」の比喩

2.1. 愛情表現の対比と過去への反省

「愛してるとごめんねの差って まるで月と太陽ね」という比喩は、この歌詞の核心的な感情の一つを表現しています。「愛してる」という肯定的な愛情表現と、「ごめんね」という謝罪や負い目を示す言葉。この二つの間にある絶対的な違いや隔たり、あるいは性質の根本的な差異を、光と影、昼と夜を象徴する「月と太陽」に例えています。もしかしたら、過去の関係性において、この二つのバランスが取れていなかったのかもしれません。愛情を伝えることと、謝罪しなければならない状況が、交互に、あるいは矛盾して存在していたのでしょうか。続く「また明曰会えるからいいやって 何一つ学びやしない魂も」というフレーズは、過去の自分への痛烈な反省です。「明日がある」という安易な考えに甘え、関係性から何も学ぼうとしなかったことへの後悔が滲み出ています。当たり前のように続くと思っていた日々が、実はそうではなかったことに気づいたのかもしれません。

2.2. 「貴方」への献身と自己矛盾

語り手の想いは、再び「貴方」へと向けられます。「貴方をまた想う 今世も」。「今世」という言葉が示すように、この想いは一時的なものではなく、現在の人生を通じて繰り返し立ち現れる、根深いものであることが強調されます。「奉仕だ こうしたいとかより こうして欲しいとか聞きたい」という言葉には、自分の欲求(こうしたい)よりも、相手(貴方)の望みを知り、それに尽くしたいという、自己犠牲的とも言える献身的な愛情が表れています。しかし、その理想とは裏腹に、「思いの外 自分勝の世界」という自己認識が続きます。現実は自己中心的な欲求に満ちており、「周知願ったって愛を喰らいたい」と、他者に理解を求めながらも、渇望するように愛を求めてしまう自分自身の姿を直視します。この理想(奉仕)と現実(自己中心性)のギャップに苦しみ、「私に効く薬は何処だ」と、満たされない心の痛みを癒す方法を模索しているのです。

3. 過去の清算と未来への兆し

3.1. 自己批判と他者との比較

語り手は、自己に対しても厳しい目を向けています。「馬鹿に言わせりゃ この世は極楽だ 正直になれない 私という字」。世間の楽観的な見方(馬鹿に言わせりゃ)とは対照的に、自分自身が素直になれない、正直さを欠いているという自己批判が込められています。「私」という存在そのものが、正直さから遠ざかっていると感じているのです。さらに、「見返りになれるあの子にそっと 色々と遅れては奪われる」というフレーズには、他者(あの子)との比較による劣等感や焦燥感が表れています。自分は他者のようにうまく立ち回れず、いつも一歩遅れて大切なものを手に入れ損ねたり、奪われたりしている、という感覚に苛まれているようです。

3.2. 言葉の「芽」と「恋模様」

再び愛に関する比喩が登場します。「愛してると大好きの差って まるで月と曰重ね」。以前の「月と太陽」とは異なり、ここでは「月と日(太陽)重ね」となっています。「差」が「重ね」に変わっている点は重要です。これは、対立や隔たりではなく、二つの感情が重なり合い、共存する状態を示唆しているのかもしれません。「愛してる」と「大好き」という似て非なる感情の複雑な層、あるいは時間の経過と共に変化した感情の質を表しているとも考えられます。そして、「また呑んだ言葉が芽を出して 身体の中にずっと残れば」という一節。言えなかった言葉、心の中にしまい込んだ思い(呑んだ言葉)が、消えることなく内側で育ち(芽を出して)、影響を与え続ける様子を描写しています。それは後悔や未練の象徴かもしれませんが、同時に未来への可能性の「芽」とも解釈できます。しかし、現状は「気づけば拗れる恋模様」であり、意図せずに関係が複雑化してしまう、ままならない現実を示唆しています。

4. 再生の決意:孤独な夜を歩む

4.1. 過去と共に未来へ:「次の章」

物語は、明確な転換点を迎えます。「めくれば次の章」という言葉は、過去に区切りをつけ、新たな人生の段階へと進む決意を表しています。しかし、それは過去を完全に捨てることではありません。「右になった貴方の歌を 口ずさんで歩こう」。「右になった貴方」は、おそらく亡くなった、あるいは去っていった「貴方」を指す比喩でしょう。その人の歌(思い出や影響)を胸に、前へ進もうとしています。孤独に対する自己暗示(「ひとりじゃないって笑っておう」)と、これからの人生が容易ではないことの覚悟(「分厚め次の本」)も示されます。そして、「左になった私の歌を 口ずさんで歩こう ひとりの夜を歩こう」。ここで「左になった私」は、「右になった貴方」との対比で、現在を生きる自分自身を指すと考えられます。他者の歌ではなく、自分の歌(自分の人生、自分の物語)を歩むこと、そして孤独(ひとりの夜)を恐れずに受け入れ、進んでいくという、力強い自己肯定と決意が表明されます。

4.2. 時を超える想い:「夜の太陽」と「来世」

最後のセクションでは、これまでの感情が凝縮されたような表現が見られます。「愛してるよ ごめんね じゃあね まるで夜の太陽ね」。愛情、謝罪、そして別れの言葉(じゃあね)が並列され、それらが「夜の太陽」に例えられます。これは、本来ありえない組み合わせ、矛盾した存在、あるいは暗闇の中にかすかに存在する希望や真実のような、極めて複雑で捉え難い感情の状態を表しているのかもしれません。過去を振り返り、「大切に見つけた流れ クスっとした時間の流れで」と、何気ないけれど愛おしい時間の記憶を大切にしていることがわかります。そして、その流れの中で、再び「貴方をまた想う 来世も」と、時を超えた想いが語られます。「来世も」という言葉が繰り返されることで、この想いが現世に留まらず、永遠に続くものであるという強い確信、あるいは深い絆が強調され、物語は静かに幕を閉じます。

この歌詞は、喪失の痛みを抱えながらも、過去の記憶や影響と共に自己の人生を歩み出そうとする人間の姿を描いています。複雑な感情の揺れ動き、自己矛盾、そして時を超えて続く深い想いが、詩的な言葉と象徴的な比喩によって表現された、内省的で感動的な作品と言えるでしょう。

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